フランス・パリの国立陶磁器博物館で今年5月、韓仏友好行事が開かれた。駐仏韓国大使館の主催でシャンパンとマッコリを一緒に飲むという集まりだった。韓仏が軍事衝突した丙寅洋擾(へいいんじょうよう、1866年)に15年先立つ1851年、両国の間で友好的な最初の対面があり、そのときフランスのシャンパンと朝鮮の伝統酒を酌み交わしたことを記念したという。
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この日の行事が陶磁器博物館で開かれたのには訳がある。当時、朝鮮から持ってきた褐色の酒瓶がここに所蔵されている。事の次第はこうだ。フランスの捕鯨船ナーバル(Narval)号が難破して船員20人が現在の全羅南道新安の飛禽島に漂着した。知らせを聞き、中国・上海駐在のフランス領事、シャルル・ド・モンティニーが一行を助けようと島に到着した。船員らは、朝鮮側から思いがけない厚遇を受けて無事に過ごしていたという。モンティニーは、島を管轄する羅州牧使の金在敬(キム・ジェギョン)と会い、感謝の意としてフランス産のシャンパンおよそ10本を出して夕食会を持った。羅州牧使も「澄んでいて強い酒」を出し、褐色の酒瓶はそのとき酒を入れていたものだという。
事件の内幕をもう少しのぞいてみると、当時の西欧の帝国と、やがて植民地へ転落する隠遁(いんとん)の国との差が克明に表れる。羅州牧使・金在敬は、モンティニーに褐色の酒瓶を渡す一方で、シャンパンの瓶を受け取らなかったのだろうか。しかし、韓国には何の文献も残っていない。二人が会ったという記録すらない。1851年陰暦4月1日、『備辺司謄録』に「飛禽島に漂流してきた異国人20人を問情(事情聴取)し、一行に船一、二隻を与えて戻らせた」ことを報告した内容のみが残っている。当時、朝鮮王朝の官吏は絵を描いて一行との対話を試みたが、どこの国の人間なのかもついにつかめなかった。当時、朝鮮王朝の中央政治は安東金氏と豊壌趙氏が権力を巡ってひたすら政争に没頭していた。モンティニーと会った金在敬はどうなったのだろうか。『朝鮮王朝実録』を検索してみると、陰暦4月10日、暗行御使の趙雲卿(チョ・ウンギョン)が彼の罪を問うことを求めたという記録がある。罪の内容は出てこないが、事件からわずか9日で弾劾されたことから見て、モンティニーと酒を飲んだ件と関係があるものと思われる。