【コラム】「新・韓日戦」が与えた感動

 1997年9月28日のことは忘れられない。当時高校3年生だった記者は、あと2カ月余りに迫った大学修学能力試験(日本の大学入試センター試験に相当)に備え自習するため日曜日に学校に行った。午後2時、私たちは一斉に本を閉じて教室の片隅にあるテレビのスイッチを入れた。東京で行われていたサッカー・ワールドカップ(W杯)フランス大会アジア最終予選、韓国対日本戦を見るためだ。

 「富士山が崩れつつあります!」。0-1でリードされていた韓国が徐正源(ソ・ジョンウォン)と李敏成(イ・ミンソン)の連続ゴールで劇的な逆転を成し遂げると、中継アナウンサーが興奮して叫んだ。私たちは抱き合って泣いた。絶対に勝たなければならない相手である日本を破ったことに対する喜びの涙だった。選手たちが「勝てなかったら帰らない」と悲壮な覚悟で臨んだこの試合は「東京大捷(東京での大勝)」と呼ばれた。

 2008年北京五輪の野球準決勝で、イ・スンヨプが日本を相手に逆転2ランを打った時、解説者は「今、打球が独島(日本名:竹島)を越えたようだ」と言った。歴史問題で複雑に絡み合っている韓国と日本のスポーツ対決は、このように単なる運動競技ではなく、国家的使命感を持って臨む一種の代理戦争のようなものだった。

 先月18日も忘れられない日になった。平昌冬季五輪スピードスケート会場の江陵オーバルで五輪の歴史を飾る名場面が生まれた。女子500メートルで五輪3大会連続金メダルに挑んだ李相花(イ・サンファ)が銀メダルに終わると、突然涙をこぼした。涙が止まらなくなった李相花は新しい金メダリスト小平奈緒=日本=の方へ近づいていき、抱きしめられた。韓国語で「チャレッソ(よくやった)」と李相花の肩をポンポンとたたいた小平は、「今もあなたを尊敬している」と笑った。李相花も「あなたのことを本当に誇りに思う」と答えた。

スポーツ部=チャン・ミンソク記者
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