【コラム】米中の大国間競争で韓国がとばっちりを回避するには

 先日会った外交官は北京冬季五輪を話題にしながら、「(日帝時代の五輪マラソン選手)孫基禎(ソン・ギジョン)が重なって見える」と語った。最近米国など西側は中国による新疆ウイグル自治区での人権弾圧を名目にして、「外交的ボイコット」をちらつかせている。その外交官は「今のウイグル族の状況は孫基禎が日章旗を手に五輪に出場せざるを得なかった植民地支配下の我々と何も違わないではないか」と話した。抑圧を受ける悲しみを誰よりも知る韓国が終戦宣言のようなショーのために、知らないふりをして首脳クラスの祝賀使節を送るのは正しいのかという問い掛けだった。

 もちろんボイコットの動きが具体化したわけでもなく、コロナ対策など他の考慮材料もあるため、すぐに何か決定すべき状況でもない。しかし、米中対決の波紋が全方位的に押し寄せるこの時期に国際舞台で韓国の基本原則と目指すべき方向を抜本的に検討する必要がありそうだ。

 現在問題になっている人権は政治や二国間関係の下位にある概念ではなく、むしろ人類の普遍的価値だ。自由民主主義国家であれば、当然先頭に立って守るべき義務がある。文在寅(ムン・ジェイン)大統領が先月、人権委員会の行事で、「常に人権のために目覚めていなければならない」と述べたのも、そうした認識を共有しているからだ。

 ところが、今年10月に全世界43カ国が国連で中国による新疆ウイグル自治区での広範囲かつ組織的な人権弾圧を非難した際、韓国は加わらなかった。声明に明記された「残酷で非人間的な拷問、強制不妊、性別やジェンダーに基づく暴力、児童の強制分離」に目をつぶったに等しい。中国と緊密な関係を維持することと言うべきことを言うことは別だ。青瓦台は韓国がG7並みの地位に立ったと自賛するが、G7が一つになって人権保護を訴える際、韓国は高まった国の品格を示す機会を自ら蹴った格好だ。

 韓国は対外関係において、人権や民主主義といった大義の原則、価値を簡単に崩すことをあまりに繰り返してきた。これは「柔軟さ」や「実用」とは異なる次元の問題だ。世界唯一の分断国家であり、最強の大国や核武装した敵対勢力に囲まれている現実のせいにすることも難しい。「ならば戦争しろと言うのか」といった脅しで合理的な問題提起を抑え込むケースもあった。結果が良ければ弁明もできようが、前政権が天安門の楼閣に登り、現政権が北朝鮮と中国の顔色をうかがい屈従した結果は何か。核の時計はもっと早く動いており、北朝鮮と中国は韓国を尊重するどころか、「ちょろい相手」扱いしている。

 現在国際政治は米中による対決の構図に収斂(しゅうれん)しつつある。米国主導のAUKUS(オーカス)、クアッド、民主主義サミットに対抗し、中国はロシア、パキスタンなどが加わる上海協力機構(SCO)にイランまで引き込み、反米の隊列を固めている。米中が繰り広げる戦争は未来の国際政治秩序と先端科学技術の覇権を巡る乾坤一擲(けんこんいってき)の対決だ。短期間では収まらない渦の中で、全世界は絶えず難しい選択の瞬間に直面するはずだ。五輪の外交的ボイコット問題はその一部にすぎない。ヨウ素水不足のようなバタフライ効果がいつでも押し寄せかねない。

 このように嵐が激しい時ほど、確固たる原則と目指すべき方向を掲げ、一貫性を持って動いてこそ、我々の空間を確保できる。原則と大義を無視すれば、当面は楽かもしれないが、結局は誰からも尊重されず。不信ばかりを招くというのが歴史の教訓だ。ある大統領候補の特別補佐は「韓国は米中というクジラの争いでとばっちりを受けるエビではなくイルカだ」と言った。その通りだ。しかし、エビだったころには誰も気にかけない気楽な身分が、イルカになれば目立つ存在になる。また、イルカもシロナガスクジラに挟まれれば、命が危ういのは一緒だ。

イム・ミンヒョク記者

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