信じがたいことだろうが、今の共に民主党の方々は民主化闘争時代、「進歩」という言葉に乗り気でなかった。「われわれは進歩ではなく、民主改革・愛国勢力」と言っていた。「進歩」という言葉よりも、民主の方がもっと大衆的、すなわち、票に役立つと見ていた。
1992年の大統領選挙がそうだった。全国大学生代表者協議会(全大協)とNL(民族解放)陣営は、普段は連邦制統一路線を取っていたが、大統領選挙や総選挙時は金大中(キム・デジュン)政党との連合を推進した。左派単独政権は不可能なので、金大中陣営と連帯して政権交代しようということだ。だから、選挙にさえなれば赤い鉢巻きをしばらくの間ほどき、黄色い旗を手にした。「民主政府論」を主張し、時には「愛国」という右派のレトリック(修辞技法)も借りた。彼らは「『進歩』対『保守』」は観念的だとして、「『民主』対『反民主』」と規定した。
一方、PD(民衆民主)系列は選挙で社会主義を宣伝しようとした。しかし、国家保安法がある手前、社会主義の代わりに「進歩」を看板として掲げた。そうして出馬した大統領候補が白基玩(ペク・キワン)だった。1992年冬、ソウル・蚕室の自転車競技場に集まった群衆の中で「進歩」という大型の旗が上がった。韓国政治史で「進歩」がカミングアウトした事実上、初めての瞬間だった。彼らは「『民主』対『反民主』」は虚偽の構図であり、「『進歩』対『保守』」戦線を張る、と言った。