猪木氏「日本の嫌韓デモ、本当にばかげている」

平壌でプロレスイベントを開催、きっかけは師匠・力道山との縁
「日朝の対話促進が私の役割、スポーツ交流で政治も変えられる」

猪木氏「日本の嫌韓デモ、本当にばかげている」

 1970年代、日本の巨漢プロレスラー、アントニオ猪木氏(71)が、在日韓国人の大木金太郎氏(本名:金一〈キム・イル〉)=1929-2006=に頭突きを見舞われ、頭を抱えてふらつく姿に韓国人たちは熱狂した。血みどろの戦いを繰り広げた2人は、韓半島(朝鮮半島)出身で日本プロレス界の英雄となった力道山(1924-63)の弟子だった。猪木氏と大木氏は実の兄弟以上に親密な関係にあった。猪木氏は日本の国民的なスターとして人気を博した後、89年に「スポーツ平和党」を結成し参議院議員に当選した(95年に落選)。そして昨年には「日本維新の会」の比例代表候補として再び参議院議員に当選し(現在は「次世代の党」所属)、北朝鮮とのスポーツ交流に尽力している。

 今月5日、東京都内の国会議員会館で記者と会った猪木氏は「スポーツ・文化交流が政治を変えることができると信じている。軍事境界線や金剛山でもプロレスイベントをやりたい」と語った。猪木氏は力道山の弟子だったことから、その故郷である北朝鮮を30回も訪問しており、先月末には平壌でプロレスイベントを開催した。以下は一問一答。

―平壌でプロレスイベントを行ったが。

「昨年末(張成沢〈チャン・ソンテク〉氏の処刑後)、北朝鮮当局がプロレスイベントの開催を持ち掛けてきた。スポーツ交流が平和を実現する上でプラスになると信じているため、イベント開催を推進した」(昨年末に処刑された張成沢氏の最後の対外的な活動は、昨年11月に訪朝した猪木氏との面会だった。張氏は当時、国家体育指導委員会の委員長を務めていた。この席でスポーツ交流についても話し合われた)

―北朝鮮を初めて訪問したのはいつか。

「1994年、力道山について書かれた本を読んだ。このとき初めて、力道山が北朝鮮(咸鏡道)出身で、家族が北朝鮮にいるということを知った。力道山は(日本の植民地支配からの解放後)韓国を訪れたことがあるが、日本と北朝鮮の外交関係がないため、北朝鮮を訪れたことはなかった。師匠のことを思いながら訪朝し、師匠の家族にも会った。これが縁となって、1995年に平壌でプロレスイベントを開催した。その後、ほとんど毎年、北朝鮮から招待状が送られてくる」

―訪朝が多いため「親北派」と批判する声もあるが。

「北朝鮮と日本にとって最大の課題は拉致問題だ。日本では北朝鮮による拉致問題が解決しない限り、北朝鮮との対話はあり得ないというのが公式な見解だ。しかし対話をしなければ、拉致問題をどうやって解決するのか。私は日本と北朝鮮の対話を促進し、互いの立場を伝える役割を担っている。当初は所属政党からも批判されたが、今では私の活動を理解してくれている」

―拉致問題をめぐり、北朝鮮と日本の関係改善が図られているが。

「世界の地政学的環境が変わってきている。韓国は北朝鮮と親しかった中国との関係を改善している一方、ロシアが北朝鮮を支援している。このような変化が結局、日朝間の変化も促していると見るべきだ。かつて(北朝鮮の核・ミサイル開発や拉致問題を理由に)北朝鮮に対する制裁を主導していた安倍晋三首相が、日朝関係の改善のカギを握っている」

―スポーツ交流を通じた平和を主張しているが、現実的に可能だと思うか。

「日本では韓流ブームによって韓国への偏見がかなりなくなった。文化やスポーツを通じた交流が、究極的に政治も変えることができると信じている」

―プロレスと政治、どちらがより大変だと思うか。

「私は自分が政治家だと考えたことはない。師匠である力道山は『プロレスラーは観客を感動させ、心をつかみ、勇気を与える職業だ』と言っていた。政治も国民に感動を与えるイベントだと思う。訪朝もそういった次元で行っている」

―日本で「韓国人を殺せ」といった人種差別的なデモが行われているが。

「本当にばかげたことだ。私はブラジルで過ごした経験があるため、誰よりも差別が嫌いだ」(幼いころ家族と共にブラジルに移住した猪木氏を、力道山がスカウトした)

―韓日関係がよくないが。

「(両国の)政治が矮小(わいしょう)化している。両国の関係が悪化しているため、在日韓国人たちはとても大変な思いをしている。彼らのことも考える必要がある。対話をしなければ、関係改善は容易ではない」

東京= 車学峰(チャ・ハクポン)特派員
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