百済王の骨? 益山の双陵から人骨出土

最近の再発掘で人骨が出土
「大きくて太く、男性の遺骨のようだ」

百済王の骨? 益山の双陵から人骨出土

 「いや、これは人骨だが…1917年の報告書には、人骨があったという話はなかったじゃないか」

 先月中旬、全羅北道益山の双陵(史跡第87号)の大墓(別名「大王墓」)を発掘していた調査団員らは驚愕(きょうがく)した。およそ100年前に初めてここを発掘した日本の学者の報告書では全く言及されていなかった人骨が姿を現したからだ。墓の中にある「玄室」の中央に、花こう岩でできた「棺台」があり、その上にあった木箱を開けてみると、頭蓋骨の破片など人骨がぎっしりと納められていた。

 文化財庁は2日、「益山双陵で、人骨が収められた木箱を発見した。1917年の発掘時、遺物や歯を収集した後、遺骨はこの箱に入れて再び奉安したものとみられる」と発表した。文化財庁と益山市が進めている今回の発掘は「百済王都核心遺跡保存・管理事業」の一つとして、昨年8月に始まった。

 果たして、誰の骨なのだろうか? 双陵は『高麗史』などに、百済の武王と王妃の墓として記録されている。長年、双陵の「大王陵」は武王、「小王陵」は武王と共に「薯童謡(ソドンヨ)」説話の主人公たる善花公主の墓と考えられてきた。ところが、大王陵から出土した歯を2年前に国立全州博物館が分析し、「20-40歳の女性のものである可能性が高い」という結果を発表したことで、「王ではなく王妃の墓だろう」という推定が浮上した。これに、遺物の中に新羅系の土器があるという点を加え、はたと膝を打った人々がいた。「新羅出身の善花公主の墓なのは明らか」というのだ。

 だが、善花公主は果たして武王の王妃だったのだろうか。2009年に弥勒寺址(し)石塔の解体作業中に発見された舎利奉安記を分析した結果、武王のきさきは善花公主ではなく、百済最大の貴族だった砂宅氏ということだった。では、墓の主人公は砂宅王后なのだろうか。

 調査団側からは「箱に入っていた骨は太く、大きく、男性のもののように見える」という話が出ており、ひとまず大王陵の主人公は武王である可能性に一歩近づいたものとみられる。イ・ビョンホ国立弥勒寺址遺物展示館長は「百済では殉葬の風習がなかったので、墓に埋められた人物の遺骨とみるべき。精密分析の結果を待ってみるほかない」と語った。

 大王陵は馬韓を建国して清州韓氏の始祖となった武康王(古朝鮮の準王)の墓、という主張もあるが、学界では「扶余時代の百済の王陵級墓」というのが定説だ。キム・スンデ文化財庁研究官は「今回の発掘で、玄室の規模は高さ2メートル25センチと分かり、同じ時期の百済墓の中では最大規模。板築(土を何層も重ねて押し固めること)の技法で墳丘を築いていたことも確認された。王陵級墓であることが確実になった」と語った。

兪碩在(ユ・ソクチェ)記者
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